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2004.09.03

川越敏孝さんの訃報(追記)

今朝(というか昨日の深夜)すぐ下の記事を書き、

だが、日本の新聞の訃報欄には出なかったようだ。 お名前が出てもよいはずの方である。 いや、日本そして中国のために川越さんがなしてこられた事績を思えば、出ないのがおかしい くらいだ。 故人のために誠に残念である。

と書いたところ、今朝の産経新聞に訃報が掲載されているのを発見した。
まったく、遅きに失した観なきにしもあらずだが、今日午前の八宝山革命公墓での告別式より
前になんとか掲載されたのはせめてもの慰めと言えよう。

それにしても、「中国在住の翻訳家」という肩書き説明の一行が、かなしい。

川越のおじさんが翻訳家としてたいへん大きなお仕事をされたことを重々承知のうえで敢えて
繰り返すが、おじさんは最晩年、翻訳家として歩むことになった自己の生涯に対して、必ずしも
満足されてはいなかったご様子であった。
これはしかし、人生に完全に満足する人間などめったいにいるものではないというような、もの
のわかったような一般論とは次元を異にする。
京都帝大を卒業、大蔵省主計局に入って壮年時代を歩み始めた川越さんが、翻訳の仕事を
するようになるに至るまでには、戦争という大きな、いかんともしがたい外力がはたらいたこと
に思いをいたさなければならない。
また、1970年、いわゆる「文化大革命」のさなか、中国を一時離れることになった時の複雑な、
それを挫折感などという普通名詞で表現することさえ憚られるような思いなど、執筆中の回想
録が、再訪中された75年までで止まったまま先を書き進めることができないのだというお話を
伺うにつけ、ぼくなどには想像も及ばぬような重いわだかまりがあったに違いないと思われた。

書き上げられることのなかった川越さんの回想録、恐らく公刊は難しいだろう。
だいいち、これで出版してよいと、ご自身が認めないのではないか。
そういう方だと思う。
それでもわたしは、「翻訳家」としてではない川越さんの姿を拝見したくて、それが出版される
日が来ることを期待せずにはいられないのだ。

【補記】
なお、産経新聞の訃報に「かわごえ・としたか」とふりがなが振られているが、誤りである。
正しくは「はるたか」さんとお読みする。
ようやく出た訃報であっただけに、残念としか言いようがない。

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Comments

清水賢一郎:
HI!我不知不覺走進你的網頁來,看過你們的事,覺得你們一家人很幸福哦!如果我能像你們一家開開心心就好了.叔叔你是不是很喜歡中國的啊!希望有一天能讓我們做個朋友吧! *^_^*


歐陽幸初
2004/12/19

Posted by: 歐陽幸初 | 2004.12.19 11:40 AM

I have learn a few excellent stuff here. Certainly value bookmarking for revisiting.
I wonder how so much effort you place to make the sort of fantastic informative web site.

Posted by: paid online focus groups | 2022.04.06 05:20 PM

Great article.

Posted by: joker 123 | 2022.08.26 09:17 AM

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