2004.08.31

ニューヨーク、ミラノ、上海!

現在発売中の女性ファッション誌『Oggi』[オッジ]10月号の広告に「ニューヨーク、ミラノ、上海」
と書かれているのを見て、感慨深かった。

創刊12周年スペシャルということで《1か月コーディネート×3 SPECIAL BOOK》という別冊付録
が付いており、「今話題の3都市の人気スポット&ショップを舞台に」、秋旬のコーデが提案され
ているという。
「それぞれの街ナビ的要素もしっかり楽しめる保存版」ということなのだが、うーん、こういう企画、
以前なら、ニューヨーク、ミラノ……と来れば、次に並ぶのは「パリ」だったのではないか。
それが、上海。

上海には今年初め家族で旅行したが、いや実際、非常におしゃれな街になっているのを肌身で
感じた。

いまやファッションの最前線のひとつは上海なのですね。(^^)

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2004.06.28

フレイザー『金枝篇』、初の完訳版ついに刊行開始!

J.G.フレイザー畢生の大著で、人類学・民俗学・宗教学をはじめ、文学・芸術など人文諸学全般
に多大な影響を与えた『金枝篇』の、わが国初の完訳版がついに刊行開始された。

詳しくは → 国書刊行会のサイトへ

『金枝』の邦訳としては岩波文庫の5巻本が比較的有名かと思うが、実は、あまり知られていな
いけれども、岩波文庫版は著者フレイザーが、原著を削りに削ったダイジェスト版に過ぎないうえ、
豊かな「読み」の可能性を広げてくれる膨大な原註もばっさり割愛した、いわば骨と皮のような本
であった。(それでも、あの5巻もなかなか読み通せないという声もあるでしょうが……(^^;))

それがついに待望の完訳版刊行の運びとなったわけだ。
これは喜ばしい。

原著で全13巻におよぶ大著の翻訳を完成させたのは、故・神成利男氏。
1960年代後半(つまり、ぼくが生まれたころ!)から訳しはじめ、1970年にはアイヌの里として知
られる二風谷に居を定めてアイヌ文化の研究にも従事しつつ、1991年の逝去直前に『金枝』の翻
訳を完成させたという。
そのねばり強い訳業には心から敬服せざるをえない。
とはいえ、わが南方熊楠にも通じるがごとき、恐ろしく膨大かつ多面的な資料の蒐集・引用・分類
によって構成されたこの巨著は、ヨーロッパのみならず、アフリカ、オセアニア、そして日本や中国
なども含むアジアなど全世界、古今東西の風俗習慣を網羅しており、個人単独訳ではなかなか歯
が立たない部分があるのも事実であろう。
これまで完訳版が待望されながら、なかなかその困難に立ち向かう奇特な訳者を得られなかっ
たゆえんである。

それで今回の完訳版では、中国関係の部分に関して、訳稿を検討するお手伝いをさせていただ
いたのだが、これはぼくにとっても、なかなか楽しい作業であった。
いや、単に楽しかったというより、知的に興奮させられることが多かった。
ちょうどいま来学期(10月開講)の講義の準備で、20世紀前半、大日本帝国の〈外地〉における
日本語文学、すなわち近代日本の殖民地主義と文学とのかかわりについて見直す作業をぽつり
ぽつりとやっている最中だったのだが、そこで「蕃人」をめぐる言説をはじめ、日本や中国・台湾に
おける人類学的・民俗学的学知の成立にフレイザー『金枝』が圧倒的な影響を与えていることを
あらためて確認することができ、さまざまな考察のヒントをもらったような気がしたのであった。

国書刊行会の『完訳 金枝篇』は全8巻+別巻1。
博引旁証の研究書としてだけでなく、「黄金の枝」をめぐる奇怪で壮大な「祭司殺し」の謎解きミス
テリーとしても読めるというこの書、全巻が出そろうまでには、まだまだたっぷり楽しめそうである。

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2004.05.28

中国の文学者が世界的ピアニストの息子に宛てた書簡集、待望の邦訳刊行さる

激動の20世紀中国を生きた文学者(作家・批評家)で、『ジャン・クリストフ』の中国語訳などの翻訳
者としても知られる傅雷(フーレイ/1908~1966)が、芸術修養のため異郷の地に留学していた長
男の傅聡(フーツォン)--東洋人初のショパン・コンクール入賞者となった高名なピアニスト--や
国内にいた次男・傅敏に書き送った書簡集が、ついに日本語で読めるようになった。

『君よ弦外の音を聴け--ピアニストの息子に宛てた父の手紙--』
(樹花舎〔きのはなしゃ〕、本体価格2200円)

本書について詳しくは→樹花舎のサイトへ

本書の原題は『傅雷家書』。
「家書」とは「家族から/への手紙」の意で、杜甫の詩「春望」の一節「家書 万金に抵(あ)たる」は
あまりにも有名だが、本書もまさに現代の私たちに届けられた、珠玉のような書簡集である。

原著は1981年に刊行以来、版を重ね100万部以上のロングセラーとなっているもので、中国の読
書人なら知らぬ者はない(といっても恐らく過言ではあるまい)。
いまや「現代の古典」ともいうべき名著である。

西欧の文化に精通し、ヨーロッパの芸術・文学を心から愛した文学者の父--。
そんな父親から、ひとりの知友、いや、「知音」として遇せられ、芸術・文化万般にわたる、滋味ある
書簡を書き送られ、のちに世界的な音楽家となっていく息子--。

戦争と革命の20世紀中国--奔流のような「歴史」のなかにあって、みずみずしい感性にいろどられ
た本物の「文学」が、ここにある。
本書が「文化大革命」終了後まもなく、「改革開放」の初発期に世に出、その後も20年以上にわたり
中国内外で読み継がれてきたことは、革命・社会主義体制から市場経済の競争社会(ないし拝金
主義)へと変化してきたなかでも、最良の「文化」や「芸術」を渇望する人びとが確実に存在したし、
いまも存在していることを物語るものであろう。
実際、革命プロパガンダ的な「つくり」の書籍がほとんどというなかで、白とブルーを基調にすっきりと
まとめられたスマートな装幀の原著を手にした読者は、この書物それ自体をひとつの芸術作品として
愛でたことであろう。

本書の日本語版は、現代中国音楽文化史の研究者で、自身も音楽的素養に恵まれた最良の訳者
を得、訳者の(その端正な見かけによらぬ)強靱な意志によって、幾多の困難をも乗り越えて、いま
私たちの前に届けられた。
原著刊行から20年余り。まさに待望の翻訳の刊行である。
まずはそのことを、訳者とともに、心から喜びたい。
(訳者の榎本泰子さんは、実はわたしの大学時代からの友人で、現在も東アジアのラジオ放送史に
関する研究プロジェクトの共同研究者としておつきあいしている)

本書の「解説」は、中国映画の字幕翻訳者として有名な白井啓介さん(やはりわたしの親しい大先
輩)の手になるものだが、原著の魅力を的確に伝えていて、さすが、と唸らされた。

香り高い紅茶かコーヒーをいれて、いや、いっそハンガリー・ワインなど傾けながら、ゆっくり、ゆっくり
読みたい一冊である。

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