2004.06.28

フレイザー『金枝篇』、初の完訳版ついに刊行開始!

J.G.フレイザー畢生の大著で、人類学・民俗学・宗教学をはじめ、文学・芸術など人文諸学全般
に多大な影響を与えた『金枝篇』の、わが国初の完訳版がついに刊行開始された。

詳しくは → 国書刊行会のサイトへ

『金枝』の邦訳としては岩波文庫の5巻本が比較的有名かと思うが、実は、あまり知られていな
いけれども、岩波文庫版は著者フレイザーが、原著を削りに削ったダイジェスト版に過ぎないうえ、
豊かな「読み」の可能性を広げてくれる膨大な原註もばっさり割愛した、いわば骨と皮のような本
であった。(それでも、あの5巻もなかなか読み通せないという声もあるでしょうが……(^^;))

それがついに待望の完訳版刊行の運びとなったわけだ。
これは喜ばしい。

原著で全13巻におよぶ大著の翻訳を完成させたのは、故・神成利男氏。
1960年代後半(つまり、ぼくが生まれたころ!)から訳しはじめ、1970年にはアイヌの里として知
られる二風谷に居を定めてアイヌ文化の研究にも従事しつつ、1991年の逝去直前に『金枝』の翻
訳を完成させたという。
そのねばり強い訳業には心から敬服せざるをえない。
とはいえ、わが南方熊楠にも通じるがごとき、恐ろしく膨大かつ多面的な資料の蒐集・引用・分類
によって構成されたこの巨著は、ヨーロッパのみならず、アフリカ、オセアニア、そして日本や中国
なども含むアジアなど全世界、古今東西の風俗習慣を網羅しており、個人単独訳ではなかなか歯
が立たない部分があるのも事実であろう。
これまで完訳版が待望されながら、なかなかその困難に立ち向かう奇特な訳者を得られなかっ
たゆえんである。

それで今回の完訳版では、中国関係の部分に関して、訳稿を検討するお手伝いをさせていただ
いたのだが、これはぼくにとっても、なかなか楽しい作業であった。
いや、単に楽しかったというより、知的に興奮させられることが多かった。
ちょうどいま来学期(10月開講)の講義の準備で、20世紀前半、大日本帝国の〈外地〉における
日本語文学、すなわち近代日本の殖民地主義と文学とのかかわりについて見直す作業をぽつり
ぽつりとやっている最中だったのだが、そこで「蕃人」をめぐる言説をはじめ、日本や中国・台湾に
おける人類学的・民俗学的学知の成立にフレイザー『金枝』が圧倒的な影響を与えていることを
あらためて確認することができ、さまざまな考察のヒントをもらったような気がしたのであった。

国書刊行会の『完訳 金枝篇』は全8巻+別巻1。
博引旁証の研究書としてだけでなく、「黄金の枝」をめぐる奇怪で壮大な「祭司殺し」の謎解きミス
テリーとしても読めるというこの書、全巻が出そろうまでには、まだまだたっぷり楽しめそうである。

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2004.06.04

川崎和男に「惚れる」ということ

世界的インダストリアル・デザイナーの川崎和男氏が2006年新設予定の札幌市立大学の学長に
内定したというニュースは、今朝このblogにも書いた。(このすぐ下の記事です)

そこでいま愛用している眼鏡がKazuo Kawasakiデザインであることに触れたくだりで、一目見た
瞬間、ほとんど本能的に「惚れて」しまった、と書いた。
まさに電流が走ったのだった。

ただ、そういえば川崎氏のこと必ずしもきちんとフォローしていなかったなぁ(下の記事もほぼ記憶
で書きました……ので不正確なところがあるかもしれません)が気になって、氏についてネットで
検索してみたところ、あれこれ分かって勉強になった。
そのうち、わたしがいつも「スゴイなぁ!本読み強者(ごうじゃ)だなぁ」と一読三嘆、敬服してやま
ぬ松岡正剛氏の、知る人ぞ知る畏怖すべきネット書評「千夜千冊」第九百二十四夜(2004年1
月27日)で取りあげられていたことを知った。

で、さっそく読んでみたのだが、劈頭第一句が

   ぼくは川崎和男に惚れている。

であった。

おおSeigow氏よ、あなたもですか!
我が意を得たり、とニヤッとしながら(たぶん)先を読みはじめたのだが、すぐさま自分が恥ずかし
くなった。
ぼくみたいなのは川崎和男(とその仕事)について「惚れた」なんて表現を軽々に口にすべきでは
なかったと。
松岡氏のそれは、いかにも松岡正剛というべき透徹した「惚れ」方であった。

例えば氏の川崎讃のなかに次のような評言を読み得たとき、わたしは Kazuo Kawasaki とともに
Seigow Matsuoka にもあらためて「惚れ」直したことであった。(と、自己の生半可さに苛まれつつ
ここで敢えて「惚れた」と言うことにする。いや、これはむしろ「嫉妬」というべきか)

   体に決定的な障害を負ったということが、川崎の新しいデザイン領域をつくったのでは
  ない。川崎の行く先に障害が待っていたことを川崎が乗り越えていったのである。このデ
  ザイン方位への意志があったからこそ、川崎はすばらしい車椅子をもプロダクトデザイン
  した。いやこれはデザインというより“発明”や“発意”に、あるいはむしろ“決意”に近いも
  のというべきだ。

ぼくの脊髄を貫いた電流も、おそらくそうした〈意志〉のエネルギーではなかったかと、いまにして
思う。

川崎氏に対する松岡氏の批評はたいへん力のこもった好文字なので(「惚れた」相手への「告白」
なのだから当然だ)、ぜひ全篇を参照してほしい。

なお、川崎氏自身が、自己の仕事について語った著書として、NHKの人気番組「課外授業ようこそ
先輩」に出演したときの特別講義をまとめたものが出ていることも、今回はじめて知った。
『川崎和男 ドリームデザイナー―課外授業ようこそ先輩・別冊』 → amazon.co.jp のページへ

21世紀を生きる子供たちに Kazuo Kawasaki は何を語り伝えようとしたのか。
さっそく読んでみなければ。

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川崎和男氏、札幌市立大の学長に内定

グッドデザイン賞審査委員長もつとめた工業デザイナーの川崎和男氏(現名古屋市大教授。55才)が
2006年春に開学予定の札幌市立大学の初代学長に就任することが内定したらしい。
(『朝日』04年6月4日朝刊による)

胸のときめくような、うれしいニュースである。
札幌市立大学は、デザイン系の市立高専と、市立高等看護学院とを統合して「大学化」する構想が
固まっており、2年後に開学予定。いままさにデザイン段階にあるわけだが、その旗揚げに人を得て、
札幌のアート・デザイン・シーンが、そして医療福祉分野がいっそう活性化していくのではないかと
期待が膨らむ。

川崎氏は、東芝で工業デザイナーとしてガンガン活躍していた時期に、交通事故で車椅子生活に。
それが人生の転機になり、身障者も含めたすべての人にとって優れたデザインとは何かを常に意識し
たデザインへと向かった。
(自分がいざ車椅子を使うようになってみたら、いかにも味気ない画一的なデザインの車椅子しかなく、
それまで医療・福祉分野でデザインというものがほとんど顧みられていなかった当時の現状を痛切に
体験、それで自らの手で「カッコイイ車椅子」をデザインしてしまったという話を、NHKの「トップランナー」
か何かのトーク番組で見たことがある)
その後、人間工学をより専門的に追求すべく医学部に入り直し、医学博士の学位も取得したというの
には敬服せざるを得ない。
わたしたちの〈身体〉と〈デザイン〉--両者をふたつながら追求するユニバーサルデザインへと飛躍し
た川崎氏の「仕事」は、世界の熱い注目を浴びているのである。
(川崎氏の仕事については → こちらもどうぞ

ちなみに、わたしが現在愛用している眼鏡も Kazuo Kawasaki デザインで、川崎氏の出身地である
福井の老舗「増永眼鏡」の製品。
「Anti-tensions」(アンチ・テンションズ)というシリーズのもので、その名のとおり、テンプル(眼鏡の
「つる」)にたわみなどの圧力(テンション)がかかっても、レンズそのものへの歪みを生じさせない仕
組みを作り出している。
つまり、「Anti-tensionフレームはレンズの歪みから生じる眼への医学的負担を皆無にした理想的な
フレームデザイン」(増永眼鏡HPより)というわけだ。
……という医学的・人間工学的側面の徹底追求もさることながら、このメガネ、とにかくおしゃれで、
カッコイイのだ!
それ以前に着用していたメガネ(アイフォリックス)も、機能性・デザイン性に優れた製品で、かなり気
に入っていたのだが、Kazuo Kawasaki 製品は、もう一目見たその瞬間「惚れて」しまった(笑)。
なんというか胸が高鳴るようなデザインで、「ああ、これを身にまといたい!」と、ほとんど恋愛感情と
いうか、本能的(?)に身体の中心に電流が走ったことであった。

学長就任への意向を固めたKazuo Kawasaki。
「これからのデザインと看護の専門職を育てるため、精いっぱい頑張り、札幌モデルをつくっていきた
い」と話しているという。(『朝日』より)

《札幌モデル》

なんだかワクワクするではないか。
川崎氏の活躍に大いに期待したい。

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2004.06.02

香月泰男展、今日から

待ちに待った香月泰男展 in 札幌が、いよいよ今日からはじまる。
木炭と方解石でつくられる独特の黒のマチエールが圧倒的な〈シベリア・シリーズ〉で知られるが、
没後30年を記念した今回の美術展では、画家の力量がむしろ直截に看て取れる素描・デッサン類
も出品される。
香月の画業の全貌をほぼたどることのできる北海道で初めての好企画。
「コスモス」をはじめとする素描や、香月本人が「おもちゃ」と呼んだ造形作品などに触れることで、
多くの人が《新しい香月》に出逢うことを心から願っている。

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2004.05.28

中国の文学者が世界的ピアニストの息子に宛てた書簡集、待望の邦訳刊行さる

激動の20世紀中国を生きた文学者(作家・批評家)で、『ジャン・クリストフ』の中国語訳などの翻訳
者としても知られる傅雷(フーレイ/1908~1966)が、芸術修養のため異郷の地に留学していた長
男の傅聡(フーツォン)--東洋人初のショパン・コンクール入賞者となった高名なピアニスト--や
国内にいた次男・傅敏に書き送った書簡集が、ついに日本語で読めるようになった。

『君よ弦外の音を聴け--ピアニストの息子に宛てた父の手紙--』
(樹花舎〔きのはなしゃ〕、本体価格2200円)

本書について詳しくは→樹花舎のサイトへ

本書の原題は『傅雷家書』。
「家書」とは「家族から/への手紙」の意で、杜甫の詩「春望」の一節「家書 万金に抵(あ)たる」は
あまりにも有名だが、本書もまさに現代の私たちに届けられた、珠玉のような書簡集である。

原著は1981年に刊行以来、版を重ね100万部以上のロングセラーとなっているもので、中国の読
書人なら知らぬ者はない(といっても恐らく過言ではあるまい)。
いまや「現代の古典」ともいうべき名著である。

西欧の文化に精通し、ヨーロッパの芸術・文学を心から愛した文学者の父--。
そんな父親から、ひとりの知友、いや、「知音」として遇せられ、芸術・文化万般にわたる、滋味ある
書簡を書き送られ、のちに世界的な音楽家となっていく息子--。

戦争と革命の20世紀中国--奔流のような「歴史」のなかにあって、みずみずしい感性にいろどられ
た本物の「文学」が、ここにある。
本書が「文化大革命」終了後まもなく、「改革開放」の初発期に世に出、その後も20年以上にわたり
中国内外で読み継がれてきたことは、革命・社会主義体制から市場経済の競争社会(ないし拝金
主義)へと変化してきたなかでも、最良の「文化」や「芸術」を渇望する人びとが確実に存在したし、
いまも存在していることを物語るものであろう。
実際、革命プロパガンダ的な「つくり」の書籍がほとんどというなかで、白とブルーを基調にすっきりと
まとめられたスマートな装幀の原著を手にした読者は、この書物それ自体をひとつの芸術作品として
愛でたことであろう。

本書の日本語版は、現代中国音楽文化史の研究者で、自身も音楽的素養に恵まれた最良の訳者
を得、訳者の(その端正な見かけによらぬ)強靱な意志によって、幾多の困難をも乗り越えて、いま
私たちの前に届けられた。
原著刊行から20年余り。まさに待望の翻訳の刊行である。
まずはそのことを、訳者とともに、心から喜びたい。
(訳者の榎本泰子さんは、実はわたしの大学時代からの友人で、現在も東アジアのラジオ放送史に
関する研究プロジェクトの共同研究者としておつきあいしている)

本書の「解説」は、中国映画の字幕翻訳者として有名な白井啓介さん(やはりわたしの親しい大先
輩)の手になるものだが、原著の魅力を的確に伝えていて、さすが、と唸らされた。

香り高い紅茶かコーヒーをいれて、いや、いっそハンガリー・ワインなど傾けながら、ゆっくり、ゆっくり
読みたい一冊である。

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2004.05.27

札幌に綿毛が舞い始めました

きょうの札幌は気持ちのよい快晴。気温も25度に達して、夏日。
で、札幌初夏の風物詩である、白い綿毛が舞い始めました。

この綿毛、正体はポプラの種子です。

北京では毎年5月初めに柳絮(liu2xu4 りゅうじょ)が飛びますけれども、要するに、それと同じ
ものですね。
札幌では例年だいたい6月なんですが、ここのところの好天でちょっと早めのような気がします。

自転車で大学まで通っているわたしとしては、目といわず鼻といわず、容赦なく飛び込んでくる
この綿毛ちゃん、けっこう厄介者なんですが、今年はちょっと特別。
去年の北京暮らしを想い出させてくれました。

北京の冬から春、春から夏への季節の移ろいは、札幌より1ヶ月余り早く回るような感じで、
(ちなみに、札幌ではいま満開のライラック、ほぼ半月前くらいからが咲き始めていましたが、
北京で今年ライラックがほころび始めたのは、ちょうどわたしが帰国した、3月31日でした)
昨年住んでいた北京友誼賓館では、6月1日から中庭の「[口卑]酒花園 pi2jiu3hua1yuan2」
(ビアガーデン)がオープンしました。
昨年の北京では、SARS沈静化後、風通しのよいオープン・エアーのビアガーデンで、感染を
避けるために長いこと「閉じこもり」的な生活を送って欝積したものを吐き出すように、人々が
ワーッと盛り上がっていたのが懐かしく想い出されます。

札幌もきょうはビール日和。
中国語の授業で酷使したノドにご褒美を、ということで、ちょっと奮発(?)してヱビスの黒でも買っ
て帰るとしましょうか。
友誼賓館ご自慢の、あの妙に漢方薬臭い自家製黒生ビールを想い出すよすがになるかもしれ
ません。

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2004.05.26

世界遺産・平遙古城の写真展、札幌市役所にて

中国山西省の歴史的城郭都市、平遙の写真展が札幌市役所1階ロビーで開催中だ。
【注】きょう=26日まで!

平遙は明清時代の寺廟や町並みをほぼ完全な姿でそのまま現代に伝える古城で、1997年に世界
遺産に登録されている。

城壁と建築物で有名だが、社会経済史の視点からは、中国最初の為替銀行(“票号 piao4hao4”)
発祥の地としても注目される。
19世紀初め、平遙の「日昇昌」が中国最初の為替銀行として登場、その後、平遥に本店を構える為
替銀行が続々と現れた。清末に全中国で52社存在した為替銀行のうち、4割ほどに当たる22社が
平遥に本店を構え、その支店網は中国全土に及んだという。

賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の映画『プラットホーム』(原題:站台、2000年)でも、城壁の場面を
中心にロケが行われたので、中華電影ファンにはおなじみだろう。
また、平遙の近郊、祁県にある喬家大院は、『赤いコーリャン』で有名な張藝謀(チャン・イーモウ)監
督の映画『紅夢』(原題:大紅灯籠高高掛、1991年)のロケ地として有名で、あの圧倒的な存在感で
スクリーンに迫って来た旧家の大邸宅は、まさに「山西商人の夢のあと」であった。

世界遺産にも登録されて観光地として「復活」を遂げた平遙古城。
改革開放の流れのなかで、「清末中国のウォールストリート」などと自己プレゼンに力がこもるが、
さて、今回の写真展をきっかけに北海道からも来訪者が増えるかどうか。

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2004.05.24

香月泰男、舟越桂らの「おもちゃ」に感激

23日(土)、札幌芸術の森美術館で開催されていた「作家からの贈り物」展を見てきた。
「アトリエで生まれたおもちゃたち」というサブタイトルがついたこの特別展には、ぼくの大好きな画家
香月泰男が、幼い孫とのお留守番をきっかけに作りはじめたという「おもちゃ」をはじめ、舟越桂、
本郷新、パウル・クレー、ピカソといった有名画家・彫刻家たちが、張りつめた創作のあいまに、
絵筆や彫刻刀を握る手をふと休めて、身近な道具と材料(アトリエや道ばたに落ちていた木っ端や
紙切れ、布切れなど)を使って、愛しい家族のためにつくった人形やドールハウス、絵本など、
いわば「余技」として制作された「おもちゃ」たちが集められていて、それでぼくも、もちろん
家族といっしょに出かけた。

ぼくは長女といっしょにサンドイッチを作り(自家製パンにウィンナーと野菜をはさんだだけですが)、
妻は鶏の照り焼きを焼いたり、温野菜のサラダを作ってくれて、デザートに夏みかんと、水筒には
温かいアールグレイを入れて、しゅっぱーつ!

美術館は、文字どおり「森」の中にあって、それだけでもうピクニック気分。
着いたら、もうお昼を回っていたので、まずはお弁当。
「クラフト館」に、飲食のできるテーブルと椅子があるのだが、そこには木の温もりが伝わってくる
ような手作りおもちゃが置いてあり、それだけで娘たちはもう大喜び。

腹ごしらえが済んだところで、いざ、本命の「おもちゃ」展へ。

クレーからピカソ、本郷新、有元利夫と、次々にいろんなおもちゃが出てくる美術展に、娘たちは
大はしゃぎ。作品保護のためのガラスケースに張りついて見ている。いや、ガラスケースを小突い
たり、作品の間を、あちらからこちらへ、蝶のように飛び回り、学芸員のおばさまたちは気が気で
ない様子。
作品にはお手を触れないでくださいと言われても、子供には、なかなかムリだ。思わずべったり
触りそうになって、とうとうおばさんに制止された。で、一瞬、神妙になるが、すぐケロッと忘れ
てしまって走り回ってしまうところはやっぱり子供だが、そのあたりは、おばさんたちも心得てい
るのか、よほどのことでもない限り黙認してくれるのはさすがに「おもちゃ」展だ。(というか、
ここで子供にこんこんと諭しても、無粋ってもんですよねぇ)

さて、ぼくは、やはり香月の「おもちゃ」をナマで見られて感激だった。
が、それ以上に感動したのは、舟越桂の「おもちゃ」が登場したときの、娘たちの踊るようにうれし
そうな表情を見られたことだ。

去年の6月、SARS禍を避けて緊急一時帰国していたとき、東京都現代美術館で舟越桂の展覧
会があって、妻は娘たちを連れて見に行った(ぼくはそのときすでに、いまだSARS騒ぎの冷め
やらぬ北京に一足先に戻っていた)。で、そのとき、妻は娘たちのために舟越の絵本「おもちゃ
のいいわけ
」(すえもりブックス刊)を買ってやったのだが、娘たち、とりわけ次女は、穴のあくほど
飽かず眺めていたらしい。
その絵本の中のおもちゃたちが、眼前にパーッと現れたのだ。
「うわーっ、遊べる家だ!」
「あっ、ヤギの木馬だ!」
「ねぇ、ほら、あれ、《びんびん》だよ!」と、顔を輝かせながら次々と飛び移っていく。
いちばんびっくりしたのは、次女が、「ねぇ、パパー、ほら、これ、《遠い日になる前に》だよ!」と
言ったことだ。
これは、舟越桂が絵本の中で、妻の千恵子さん、息子の械くん、娘のみもさんのために作った
3つのレンガの家について書いたエッセイのタイトルで、今年まだ6才の次女は漢字は読めない
ので、ふりがなで読んでいたらしいのだが、いつも一人でじいーっと眺めていた。
その難しいタイトルを完全に覚えていたわけだ。
次女は、絵やブロック遊びなどでも、なかなかセンスがよく、うちの家族(特に妻の両親、つまり
彼女のおじいちゃん、おばあちゃんですね!)は「うちの巨匠」と呼んでいるのだが(笑)、やはり
独特の感性があるようだ。

香月や舟越桂の「おもちゃ」を堪能できたこともさることながら、そんな娘の一面をあらためて
発見できて、二重に感激の美術展であった。

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2004.05.15

香月泰男展、来月いよいよ札幌に

きょうの『朝日』夕刊(p.28「道内」版)に、香月泰男展の案内が出ていた。
2004.6.2(水)~7.11(日) 北海道立近代美術館にて。
没後30周年の記念展だ。 詳しくは→道立近代美術館のSite

香月はシベリア抑留体験をもとにした〈シベリア・シリーズ〉で有名だが、今回はその画業が、代表作〈シベリア・シリーズ〉全57点をはじめとする、初期から晩年までの約170点によって網羅的に紹介されるというのだ。
油彩画はもちろん、あの素晴らしい「おもちゃ」の幾つかも含まれているらしい。(「香月泰男のおもちゃ箱」については、→こちらその書評 を参照)

これは絶対に見に行く。行かなければならない。
(こちらのことばでは「行かなきゃないっしょ!」というところだ)

ちなみに香月は、われらが北海道後志(しりべし)の、旧制倶知安中学校で教鞭をとったこともあり、それで、「しりべしミュージアムロード」の3館共同展として、『香月泰男 ~あたたかな まなざし~』が札幌の企画とぴったり時期を重ねて(6.2(水)~7.11(日))、木田金次郎美術館(岩内)、西村計雄記念美術館(共和町)、小川原脩記念美術館(倶知安町)で共同開催される。3館あわせて97点が見られるとのこと。 詳しくは→こちら
うーん、久しぶりにレンタカーを借りて、ドライブがてら美術展3館「はしご」としゃれこむとするか?

なお、香月の画集としては、小学館からやはり没後30年記念として、『香月泰男画集 生命(いのち)の讃歌』が出版されている(詳しくは→小学館のSite)。
喉から手が出るほど欲しいのだが、税込で39,900円。それって、要するに4万円じゃん!家人からはもうだいぶ以前に「買っていいよ」とお許しがでているのだが(ありがたや~)、気の弱いぼくは、うじうじ迷っているのでした。

画集はともかく、オリジナルの作品が来るのだ。これを見に行かないでどうする!
今年の6月は、香月月(かづきづき)だ!

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